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英語のスペシャリスト 戸田奈津子インタビュー #02

〜英語学習で重要なこと、そして翻訳者として成功するには〜

  • 【画像】戸田奈津子#02

    写真:笹原清明

 大学卒業後に生命保険会社に就職するも1年半ほどで退職。字幕翻訳者という学生時代からの夢を諦めずに追いかけ、見事にその夢を叶えて現在も第一線で活躍し続けている戸田奈津子氏。中学2年生の時に辞書を引きながら英文を作ることの楽しさを覚えたのがきっかけと話す彼女に、英語学習で大切なこと、そして観客に感動を伝えられる字幕翻訳者になるために必要な姿勢をお聞きしました。

覚悟の上で食らいつき、自分の中でモチベーションとなるものを見つけることが大事

――英語の仕事に就きたいと思っている読者にアドバイスは?
戸田私の場合、字幕翻訳者への道は究極の狭き門でしたから、なれるか、なれないかはギャンブルみたいなものでした。でも、「どんなに貧しくて、飢え死にはしない。その覚悟はできている」と開き直っていました。“夢を捨てなければ、いつかは叶う”とよく言いますが、それはちょっと甘い。そうならないことも多々あるのが現実。でも、それも覚悟の上で食らいつかないと何も始まりません。
――初めて英語に興味を持ったのは?
戸田中学2年生の時。中学1年生の時に、初めて英語の授業が始まったのですが、その時はがっかり。「大好きな映画で聞く英語が学べる」とワクワクしていたのですが、実際にはアルファベットの“a,b,c,”をなぞって書いたり、発音記号を暗記させられたり。リーダーも“This is a pen.”みたいな例文を読まされるだけで、誰だってうんざりしますよね。でも、中学2年になって出会った先生は、短いフレーズを使って作文をする和文英訳の宿題を必ず出してくださって。辞書を引きながら英文を作ることの楽しさを覚えました。それに作った文章を黒板に書いて発表するんですけど、その時に褒められたりすると、また張り切って新しい文章に挑戦できる。その繰り返しで、英語に馴染んでいきました。
――学校の以外でしていた勉強は?
戸田ラジオでポピュラーソングを聞きながら歌詞を聴き、書き取ったりしていました。今でも歌詞を書き写したルーズリーフが何冊も残っています。フランク・シナトラ、ペリー・コモ、エルヴィス・プレスリー……。ラジオから流れるメロディーに耳を傾けて、必死で書き取る。もちろん、全部聴き取れませんからブランクが出来るわけですが、同じ曲が流れるたびにノートを出してブランクを埋めようと必死に。でも、それは私にとっては勉強ではないのです。「ひたすら、あの曲が歌いたい!」という、そのモチベーションだけでした。結果的に、多少はヒアリングの力が上がったかもしれませんけど。楽しくやることが重要です。
――書くことが大事?
戸田とても大事です。会話は、口に出したら消えていきます。もちろん、英語を話すこと事も大事です。日本人は間違うのを恐れてつい頭の中で作文してしまい、黙りがち。間違ってもいいから、口に出してしゃべることです。ただし、そこで大事になるのが書くことです。たとえば、基本的な文法で三人称単数の現在には“s”をつけるというルールがあります。話している時は“He speaks”ではなく“He speak”と“s”を落としても通じるでしょ。でも、紙に書いた時には“s”を抜かせばマイナス点。そこで、“s”をつけるんだと学ぶわけです。英語は、どんどんしゃべりつつ、書いて正しい英語のルールをコツコツと覚えていくこと。この両方から攻めないと、身に付きません。
――長続きする勉強法は?
戸田モチベーションです。「勉強しろ!」と言われても、好きでないことは長続きしません。私も、歌いたいから歌詞を必死で書き取ったし、映画が好きだから、英語に興味を持った。何回も同じ映画を見ていると、気になるセリフに出会うものなんです。私の場合は、『第三の男』の“今夜の酒は荒れそうだ”というセリフで、そのシーンになると耳をそば立てて。やっと聴き取った原文は“I shouldn’t drink it. It makes me acid.”。直訳すれば“これ(酒)を飲んではいけない。気分がイラつくから”ですが“今夜の酒は荒れそうだ”……。短く、真意をついたこの訳にシビれて字幕翻訳に興味を持つようになったのです。

血の通った通訳の分かれ目とは

――最初に就職した生命保険会社を辞めたのは?
戸田好きじゃないからです(爆笑)。国際ロータリー・クラブの会長をしていらした社長が時々やり取りする英語の手紙を処理するだけの仕事だったのですが、それがヒマで、退屈で。あとは、外国からのお客様を迎える会食やパーティでご案内をしたり、通訳をするくらい。それでも9時から5時まではオフィスに居なければいけない。人間、何もすることがないのは、ほんとうに苦痛ですよ。
――通訳のお仕事は、その時から?
戸田いえいえ、あの時は、本当に片言。ちゃんとした仕事として通訳をしたのは、退職をして映画会社でアルバイトをしていた頃です。当時、ユナイト映画の宣伝部長をしていらした亡き映画評論家の水野晴雄さんが「『アリスのレストラン』(‘70年公開)のプロデューサーが来日するから通訳してちょうだい。あなた、英語ができるんでしょ」……と言われても、大学時代に来日バレエ団の小間使いをしたのと、会社のパーティでお客様を案内したくらいですから、生の英語を話すチャンスなんてゼロ。なので、お断りしたのですが、いつの間にか記者会見のひな壇に座らされていました。いやー、もう、無我夢中で、しどろもどろで、ヘタだったです。正直、この悪夢を早く忘れようと思っていたのですが、それからも依頼があって。気が付けば通訳としての仕事が増えていました。
――やはり、経験がモノをいう?
戸田そうですね。徐々に会話にも慣れてきましたし、長年英語の基本を勉強してきた強みもありましたから。それに、いま思えば冷や汗が出るほど下手な英語でもなんとか務まったのは、やはり長年にわたって映画を見続けてきたおかげだと思います。原題を聞いてすぐに日本語の題名に置き換えるとか、監督や俳優のそれまでの仕事を知っていることが大事なのです。たとえばその監督が、俳優が、どんな映画を作り、どんな演技をして、どんな評価を得てきたかを知っているかいないか。そこが血の通った通訳の分かれ目になるのです。
戸田奈津子
東京都出身。津田塾大学英文科卒。大学在学中に字幕翻訳家を志すも門は狭く、生命保険会社の秘書や翻訳・通訳のアルバイトをしつつ翻訳家としての機会を待つ。その間、英米字幕翻訳の先駆者・清水俊二氏に師事。1970年公開の『野生の少年』でようやく本格的な作品の字幕翻訳を担当。さらに10年近い下積みを経て『地獄の黙示録』(1979年)の翻訳を手がけたのを機にプロとしての地位を確立。以来、現在に至るまで数多くの名作・大作の翻訳を担当、来日する映画人の通訳も依頼され、長年の友人も多い。
著書に『KEEP ON DREAMING 戸田奈津子』(字幕翻訳の第一人者が語る初の自伝ノンフィクション)、『ときめくフレーズ、きらめくシネマ』(100本の映画から100本のセリフをピックアップと戸田奈津子が語る、生きた英語の習得述)など。いずれも双葉社より発売中。
文/金子裕子 校閲/磯崎恵一

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