2017年02月16日 08時20分
リヤカー引いて“地球1周分”歩いた男 41年に及ぶその旅路【前編】
リヤカーを引いて世界各国を歩き倒すリヤカーマン・永瀬忠志 (C)oricon ME inc.
深夜帯で高い人気を誇る伝聞型紀行バラエティ『クレイジージャーニー』(TBS系 毎週木曜 深0:10)にリヤカーを引きながら旅をする人として出演した“リヤカーマン”こと永瀬忠志氏(61)。今までリヤカーを引いて歩いた総距離は、地球一周分を優に超える4万7000キロ以上。なぜリヤカーだったのか、旅を続けることの先に何が待つのか――。41年間に及ぶ“リヤカーの旅”、まずは前編をお届けする。
■きっかけは少年時代の「自転車旅行」
きっかけは小学4年生。自転車に乗って20キロの小旅行に出かけた。その土地ならではの風景や人との出会い、それが“冒険心”に火を付けた。18歳で海岸沿いを自転車で走り、日本一周に挑戦。19歳で日本縦断を決意した。このとき「海岸部と比べると中心部を通るルートはさらに距離が短くなるので、自転車ではなく、歩きで行くことを決めたんです」。さらに自転車に詰んでいた荷物を自力で持ち運びするのは難しいと考え、リヤカーを使用することを思いついた。出発地となる北海道の農家で中古のリヤカーを購入、今に至る「リヤカー旅」の始まりだ。
■苦しかったときに助けられた人の温かさ
日本一周と日本縦断が終わったところで「リヤカーで世界に挑戦したい」と思い立った。持ち前の行動力で、22歳のときにオーストラリア大陸横断へ向かった。シドニーから歩き始めてすぐ、両足にできたひどい肉刺(まめ)に悩まされ「もうこんな旅、2度としたくない」と何度も考えた。気持ちが挫折しかけたとき、支えになったのが現地の人だった。地元で道路工事していた人たちが、わざわざ救急箱を持ってきて足を治療してくれ、隣町までサンダルを買いに行ってくれた。その日の夜に泊まったホテルでは「おばさんからきちんと病院に行ったほうが良いとアドバイスをもらい」、さらに「宿代はいらないから、明日も泊まっていきな」と言葉をかけてもらった。ただ、「ここに留まるくらいなら先に進みたい」と考えていた永瀬氏は事情を説明。すると翌日、女性がサンドイッチを作って持たせてくれた。
現地の人の温かさに触れ、ときには気温50度を超えるなかリヤカーを引いて歩き続けた。目的地のパースまで約4200キロ、オーストラリア大陸横断に成功し「現地の人たちとの出会いが力となって、一歩、また一歩と進むことができたんです」。さまざまな人たちの優しさに触れ合う、それこそがリヤカー旅を続ける原動力となっている。
■年末年始はラオスへ
世界各国を旅してきたが、最近は年末年始にラオスでリヤカーを引いていた。首都ヴィエンチャンからルアンパバーンまでを目的地として“334キロの道のりを8日間で歩く旅”を計画していたが、現地でヴィエンチャンから目的地までの距離が385キロと書かれてある標識を見かけ愕然。「(予定距離から)51キロオーバーは大変な道のり」と苦しみながら「10日間かけて達成できました」。その表情には充実感がみなぎる。
永瀬氏の過酷な挑戦はDVD『クレイジージャーニーVol.4』(発売中)でより深く触れることができる。そうそうたるクレイジージャーニー(旅人)が揃い踏みするなか、永瀬氏の回は優れた番組や個人・団体を放送批評懇談会が顕彰する「ギャラクシー賞」の2016年5月度月間賞を受賞。名実ともに高い評価を得る永瀬氏、インタビュー後編では最も長距離旅となった“アフリカ横断”に迫ってみたい。
【プロフィール】
■永瀬忠志
1956年生まれ。島根県出雲市出身。19歳で達成した“リヤカー日本徒歩縦断”を機に、世界各国を旅する冒険家に。2005年には第10回植村直巳冒険賞を受賞。大阪府立成城高校で講師を務めながら、リヤカーで世界中を巡る冒険家。発売中のDVD『クレイジージャーニー Vol.4』に収録された永瀬氏の回は、優れた番組や個人・団体を放送批評懇談会が顕彰する「ギャラクシー賞」の2016年5月度月間賞を受賞。
>>“英会話”を学ぶならドコがいい? 最新のスクールランキングを発表!
>>危険地帯ジャーナリスト・丸山ゴンザレスが語る フィリピン留学が“超初心者向け”な理由