英語の文通から始まった…辻一弘が特殊メイクでアカデミー賞を受賞するまで
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学生時代に特殊メイクの巨匠と文通、英語は担任の先生が添削
「担任が英語教師だったので、手紙は先生に添削してもらいました。何度も文通をしているうちに、英会話での自然な言い回しやフレーズ、単語がわかるようになってきましたし、アメリカの雑誌をよく読んでいたので、そこから文章のヒントをもらうこともありましたね。だんだん英語には慣れてきたんですが、映画『スウィート・ホーム』の仕事でスミスさんのチームが来日し、初対面してからはまた一苦労。書くのとしゃべるのとは、まったく違います。その現場には半年近くいたんですが、最初はどうにもコミュニケーションがとりにくかったものの、次第に相手が言っていることもわかるようになりました」
「英語はまだまだの状態」ながら、一念発起して渡米
「アメリカ行きを決めたのは、やはり日本にいては自分のやりたい方法で特殊メイクをできなかったから。もちろん英語はまだまだの状態でしたけどね。いや、当時よりむしろ今の方がどっちつかずかも。英語も日本語も中途半端になっている気がします(笑)」
独学で学び始めたころから、仕事に関することをできるだけ英語で考えるようにしたという。
「『スウィート・ホーム』の現場でもそうだったんですが、一度日本語で文章を考えてから英語に翻訳するのではなく、最初から英語でものを考えて発言するようになってからは、スッと出てくるようになりました。僕は彼らからすれば外国人ですから、少々の間違いがあっても相手は聞く姿勢でいてくれるし、理解してもらえる。ただ、日本語でものを考えているとダメですね」
アウトサイダーだとしても、「やりたいことが決まっている自分を信じるしかない」
「卒業後に美術大学を薦められましたが、進学しなかったのには2つ理由があります。1つは、集団生活が苦手ということ。そしてもう1つが、学校は学ぶところではないということがわかっていたから。集団生活が苦手なのに、わざわざまた大学という集団に入ることは選びませんでしたし、自分の目標である仕事に一刻も早く近づけるような道を選んだんです。だけどそれは、“集団”側から見たらアウトサイダーですし、その自覚はあります。でも、やりたいことが決まっている自分を信じるしかない。自分の存在証明こそが、仕事への原動力になりました」
こうしてハリウッドの世界に飛び込んだ辻氏は、特殊メイクアップアーティストとして活躍。『メン・イン・ブラック』、『猿の惑星』などの大作を手がけ、ハリウッドで22年以上もの長きにわたり映画の仕事に携わった。
「ハリウッドは良い部分も悪い部分もあり、僕自身も複雑な思いがありますが、映画の仕事をするなら経験しておくべき場所。いろんな人が様々な注文をしてくるので、自分を殺さずに表現することが大事だと思っていました。僕は一度その場を離れたことも、良かったのだと思います」