2009年は、作家・太宰治の生誕100周年。それを記念して、書籍の発行や映画の上映など、話題が盛りだくさん!
受験生としては、ぜひ押さえておきたいトピックスですね。 中学生や高校生の時に読んで、その世界に“ハマる”人が多いことから、「青春のハシカ」とも言われる太宰治の、作品やその生涯についてご紹介します!
名家に生まれた文学青年
「斜陽館」
4回の自殺未遂と、作家になった二人の娘1907年に建てられた太宰治の生家。太宰の死後売却され、旅館として使われていたが、1996年に再度売却。金木町(当時)が買い取り、町営の文学記念館となった。また近代和風住宅として2004年に国の重要文化財に指定された。現在も多くのファンや観光客でにぎわっている。 >>ホームページはこちら 太宰は生涯で、2回の自殺未遂と2回の心中未遂を行っています。 20歳のとき鎮静剤カルモチンを多量に飲み、21歳のとき同棲中の小山初代との結納を交わしたわずか4日後、出会って3日のカフェの女給・田部シメ子と鎌倉の海に投身。シメ子だけが死亡します。 また26歳の時には芥川賞落選のショックで首つり自殺を図ります。それは未遂に終わりましたが、このときの入院で使用した麻酔剤をきっかけに薬物中毒に。さらにその翌年、薬物中毒の治療入院中に初代の不貞が発覚し、ショックを受けた彼は初代と心中を図ります。この事件後二人は別れました。 28歳のとき井伏鱒二の紹介で、石原美知子と見合い結婚。一男二女に恵まれますが、この結婚生活の間にも、「斜陽」のモデルとなった太田静子、そしてともに死を迎えた山崎富栄の二人の女性と関係を持ちます。そして太宰は1948年6月13日に、この富栄と玉川上水に入水。彼らの遺体は、奇しくも太宰の39回目の誕生日に発見されたのです。 太宰の4人の子どものうち、美知子との二女里子は「津島佑子」、そして愛人の太田静子の長女治子は「太田治子」として、ともに作家となり現在も活躍しています。
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