東大に入ったら将来のためにこんな経験を積んでいこう、そんなヴィジョンは私にはまったくなく、目的は“休むこと”だったんです(笑)。もう、競争しなくていいんだと。ここまで頑張ったんだから、将来はスムーズにいけるだろうなんて思っていたのですが、とんでもない! 実は、競争をクリアしたらさらに熾烈な競争が待っていると、後に知らされることになりました。
入学してしばらくは楽しく過ごせました。最初は純粋にレジャー感覚でテニスや茶道のサークルに入り、“普通”の大学ライフを楽しんでいましたね。寮で仲間と過ごす東京の生活は、ありとあらゆるものが新しくて面白かったのです。でも、心の奥では、本当は何をすればいいのかわからなくて…。教授からは「君たちは大学に来なくてもよろしい、来てもよろしい」などと言われる、周りもみんな遊んでいる。私は一体、残りの人生で何をすればいいんだろう!? 何も管理されないという初めての環境で、私は迷子になってしまったのです。
2年生になって、友人に誘われて、ポピュラーミュージックピープルというサークルに入りました。久しぶりのバンド活動は、やはり楽しかったですね。最初はキーボード担当だったのですが、男性ヴォーカルにはキーが高すぎる曲を学園祭で演奏することになったため、ジャンケンで負けた私が歌うことになったのです。ポップスを歌うのは初めての経験でしたが、ステージではとても好評を呼び、サークル内で一番メジャーなバンドからスカウトされたんです! その後は、サークルの看板ヴォーカリストとして活躍するようになりました(笑)。みんなで練習するのは、文句なく楽しい時間でした。あのとき、ジャンケンに勝っていたら、どうなっていただろうと、今もときどき考えます。 |
2年生の秋になると、専門課程の法律の講義が始まりました。その時になって初めて、私は教科書を開いたのですが、これが全然意味がわからず、ちっとも面白くないんです。愕然としました。勉強に関してこんな経験は初めてのことでした。試験に解答するためには、膨大な判例や学説を吸収・理解しなければならないのです。こんなこと、私にできるはずがないと思いました。
3年生になると、皆が目の色を変えて勉強し始めます。中央官庁のキャリアとして日本を動かす、司法試験に在学中に合格する、大半がこの目標を持つ東大法学部の競争たるや…、「休み」の欲しかった私が、戦えるはずもありません。好きになれない法律を、一日十数時間も勉強するなんて…。本当に、途方に暮れました。
周りと同じ目的を持てず、将来の希望も見つけられない私が、とりあえず選んだのは、司法試験に挑戦することでした。荒唐無稽なようですが、将来のために資格を取っておこうと思ったとき、東大法学部生としては、これが一番身近な選択だったのです。しかし、そんな心構えで成功するほど、司法試験は生半可なものではありません。留年を繰り返し、試験を受け続けながら、先の見えない受験勉強に疲れ、自分は何がやりたいのか、いったい今やっていることが何の役に立つのか、そのジレンマに悩まされました。 |
司法試験に合格しないまま、大学の修業年限を迎えて卒業した私は、その年の秋に、勉強を続けながら、生まれて初めてジャズクラブでの仕事をいただきました。勉強のプレッシャーを、少しでも解放できれば、くらいの気持ちでした。
ステージで歌うことは、自分の存在全体が震える幸せでした。その幸せが、聴く人に伝わったのでしょうか、続けていくうちに徐々に出番は増えていきました。しかしそのぶん勉強時間は減って、司法試験は遠くなっていきます。東大卒の自分が、歌手になるなんてありえない、でも競争を続けるのは辛すぎる、自分は一体どうなってしまうんだろう…、幸せと義務のはざまで自分を見失ったまま、数ヶ月が過ぎていきました。
そんなある日、ライブの帰りに電車に乗っていたときのことです。「今日のステージは楽しかったなあ。明日はどんな曲を歌おう?」と考えながら、私は自分が、この上なく幸せなことに気づきました。そして、ふと「この生活を毎日続ければ、30年後だって私は幸せなんじゃないか」って思ったんです。眼からウロコが落ちたようでした! それまでの私は、明日の幸せのために今日辛い努力をするという人生を過ごしてきました。けれど、今、幸せであることを選ぶことによって、世界が開け、それが明日の幸せにつながるという、「幸せの循環」の人生だってあると気付いたのです。勝ち続けることが、私の満足でした。けれど、誰にも勝たないのに、歌うことは楽しいのです。もし司法試験に勝っても、辛い勝負は一生終わらない…。それより、本当に好きなことをして、残りの一生を過ごそう! 目の前の壁がパタンと倒れたら、向こうはどこまでも続くお花畑だった、そんな気分でした。 |
我ながら遠回りをしたと思います。でも、最初から歌手を目指して音楽大学に進んでいたとしたら、音楽を武器にまた辛い勝負をして、同じ挫折の仕方をしたかもしれません。何事にも勝つことを強いてきた私が、好きだから選ぶというスタンスを見つけることができたのは、嫌なことで勝っても幸せにならないということが、身にしみてわかったからです。大変な経験だったけれど、あのとき、とことん悩み、考え抜いたからこそ、今の私は自分の幸せの方向性について、確信に揺らぎがないのだと思います。
「どうしたら、自分の道が見つかりますか?」と、時々聞かれます。大学を選ばなければならない18歳の時点で、本当にやりたいことを見つけるのは、とても難しいことですね。だから“わからなかったら、わからないでいい!”と思うんです。大切なのは、自分に嘘をつかないこと。わからないと思う自分を認め、ありのままに見るということです。手がかりは、毎日の学校の勉強や課外活動の中にたくさん隠されています。自分はどんなことに惹かれ、何が嫌いなのか。自分の心の動きを注意深く観察することは、自分を見つけるよい道しるべになります。
ヴォーカリストになってから、長い月日が経ちました。歌うことは今も、私にとって、新しい自分を発見するための、心躍る冒険です。30年後は、どうなっているでしょうね?(笑)その時を楽しみに、誠実に歌い続けたいと思います。(終) |
静岡大学教育学部付属浜松中、県立浜松北高を経て、東京大学法学部卒。小学生の頃から合唱部などで歌を始め、東大在学中にジャズと出会う。司法試験に挑戦しながらジャズクラブで歌うようになり、94年に「第10回日本ジャズヴォーカル大賞」新人賞を受賞。95年にメジャーデビュー、日本人ヴォーカリストとして初めて米ブルーノートニューヨークに出演。アルバム5作目「ジャスト・ビサイド・ユー」で「日本ゴールドディスク大賞」ジャズ部門賞を受賞。ワン・アンド・オンリーの暖かい歌声で、現在はジャンルにとらわれない幅広く音楽活動を行っている。 |
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